中国コラム
中古自動車販売会社訪問&上海の騒然とした大晦日「花火・爆竹」体験談
香港・福建省廈門(アモイ)へ!!
2006年1月23日(月)
中国の正月「春節」を迎える準備であわただしい、暮れの「香港」に友人のとある重要用件指南を仰せつかり本日でかける。友人と義妹さんは、一昨年離婚した義妹の旦那さんの儲け話に乗り、三年前上海に日中合弁会社を作り数千万円の投資をした。 これも義妹の旦那さんの提案で、香港に300万円を投資して上海の会社の利益を運用しようとホールディング会社を作った。しかし、上海の会社がいまだにひとつも商売にならず困惑していたしていたのである。
香港の仲介者から会社をこのまま置いておくのかと連絡が着たそうで、その内容を聞きに一緒についていってと頼まれたのだ。
今回の仕事は香港で半日あれば済むというので、一緒についていってあげる代わりに悪乗りし「ある提案」をした。ついでに、香港の真上に当たる、真冬 の1月でも約14度〜18度の温暖な福建省廈門市(アモイ)に行きたいと提案をしたら友人はあっさりと了解した。せっかく香港まで行くのだから中国の正月 を楽しむのもいいし、観光がてら友人は初めて地、廈門市とやらに行ってみようと快い返事だった。 1月23日〜29日(中国では29日は日本の元日に当たる日)、友人のお供をすることになった。
2006年1月23日(月)16時25分成田発、香港ドラゴン航空・KA361便、成田空港から4時間をかけランタオ島の香港国際空港に5年ぶりに着いた。24時間オープンのハブ空港でこの空港はかなり広い。
友人の仲介者で流暢な日本語を話す香港在住のRさんが、広州ホンダ車を自分で運転し出迎えた。九龍公園やオーシャンターミナルに近い「マルコポーロホテル」まで送ってくれた。
香港の交通ルールは中国本土と違う、香港は以前イギリス領であったのでそのまま残し、日本と同じ交通ルールである。
中国本土は右側通行・左ハンドル車、本土では右ハンドル車の走行は禁止である。・・・・・・・まさしくここに「一つの中国二つの制度」を垣間見ることになった。
今、中国の商業発展地区といえば上海で、中国併合後香港は上海にこされた感があるが、それまで誇った栄華は色あせたとはいえさすがに世界の人たちを 魅了する国際観光都市の町並みが続く。ブランド商品を並べる高級店やレストラン、小さな店舗が並ぶ観光おみやげ店、七色に輝く夜景は何時見てもきらびやか だ。
マルコポーロホテルはフォースターホテルだがウオーターフロントに位置するので、夜景が煌びやかで海に映るネオンサインの光が幻想的であった。街の 広東料理レストランで夕食を済ませた後、Rさんの紹介のカラオケクラブで結構遅くまで飲みまくった。友人とRさんはかなり酒が強い。
1月24日(火)香港〜福建省厦門市(アモイ)
夜は煌びやかだが、昼間見る香港の町は、車が多く、狭くて、騒々しく、人ごみと観光客相手の売り子が纏わりつきうっとうしい。裏通りは都会特有のゴ ミゴミした様相が目立ち、落ち着かない。生き生きして生活観がありこの街が好きだと言う友人がいるが、日本の綺麗な町になじんでいる私は少し滞在するとこ の町にさよならしたくなる。
午前中ホテルにRさんに来てもらい友人と相談した結果、会社経費は年間少額の管理費で済むそうなのであと少し会社は残すことにした。そしてホテルで 食事をとり、Rさんに旧空港まで送ってもらい午後3時の航空便で香港を後にして、5年ぶりに福建省厦門(アモイ)高崎空港に着いた。
タクシーを拾いその足で厦門の大学に勤める友人のCさんを訪ねた。
香港空港で中国本土に入るのにイミグレーションがあり、ここでも「一つの中国二つの制度」であることを思い出した。
街全体が旧暦の春節を祝う準備のさなかに訪れた配慮不足を少し悔いながら張さんを受付で呼び出すと、Cさんは急用が出来たとかで少し日本語が話せる大学院生のLさんが出てきて、Cさんに依頼されており、私たちの対応をしてくれることになっていると挨拶された。
亜州ホテルに旅装をとき、早々と町に出てみると心配した通りもう春節の準備で従業員も少しずつ田舎に帰ったとかで商店も少しずつ閉まっており、観光 地も冬場と重なり閑散としている。レストランは忘年会予約がぎっしり入っており数日前予約しないと空が無いことを知った。案内係のLさんも私たちが訪問し なければ、本当は今日の夜実家の福州市に帰省する予定だったそうだ。
その晩はCさんが早くから予約しておいてくれた海鮮料理レストランで、私たち二人の為にCさんとLさんが歓迎会をしてくれた。
円卓にはロブスターの刺身やアワビの蒸し焼き、フカヒレスープなどが豪華に並び美味であった。山椒が入っていない鷹の爪で辛くしたマーボ豆腐これは美味かった。アモイは海沿いなので魚が新鮮で豊富、5年前に訪問したときに回転寿司1号店ができていたくらいだ。
海鮮料理を食べながら再会を祝しワインで何回も乾杯を交わし、各国の外資参入により盛り上がりを見せているIT産業の情報、日中関係の政治のごたごた話、 そして台湾とアモイは海峡を隔て隣り合わせており、中国唯一の台湾との独特で微妙な商業交流の話などを聞き、深夜まで酒を酌み交わした。
その話の中で私が以前上海で仕入れた、国外からの中古自動車輸入2006年オープンの話に及ぶと、Cさんがそ の話は2006年には 無いのではないかと異論を挟んだ。理由としては、現在中国は新車の市場導入に力を入れており、中国での新車生産台数は2005年に約550万台(自家用車 は約250万台)をクリヤーし、日本に追いつく勢いである。経済発展の寄与により、中国政府は国内の交通インフラをいま盛んに整備中であるが、交通事故が 世界一に多くその対策も未だ整っていない。
そこに外国産中古車輸入オープンがあると中所得層までが車を持てることになり、一気にモータリゼーションが加速し、排気ガス公害の環境悪化問題や工業用エ ネルギーが車に転化され石油不足問題も含め収拾がつかなくなる。そして、中国の新車メーカーや部品メーカー、国産中古車を扱うブローカー業界保護団体が動 きそのような話は出ても、すぐに各方面から反対に合い中古車輸入は進まないはずである。
このような見解を述べていた。
Cさんの話を聞いてみると大学職員とはいえ地位のある人の言葉でもあり、一理ある見解に聞こえてきた。
食事も最後になり、Cさんに今の私の気持ちを告げた。
今回のアモイ訪問は中国の人々の春節を祝う大事な準備時期のさなかで、私の訪問選択を反省している。Cさんには申し訳ないことをしたことを詫びた。
上海在住の日本人の友人が数人おり上海の正月を一度見に来いいといっている。日本人は正月を新暦で祝うので、私たちが上海に行っても迷惑がかからない。い ま仙台の中古車企業の中古車中国輸出のコンサルティングを依頼されていることもあり、気になるので上海に行き中古車情報をさらに確かめたい。
予定を変更して上海に行きたいと話を持ち出したら、逆に二人とも既に気持ちは故郷にあり、春節のお祝いに早く行きたいようで快く受け入れてくれ、本心を言ってくれてよかった。今回は十分の歓迎できないのでと感謝された。
Cさんに中国の航空会社に友人がいるとかで航空券の手配を依頼した。
その夜ホテルに戻り、上海の日本人の友人に電話連絡し25日から27日までのホテルの予約を依頼し、中古車業情報を聞きたいので上海政府関係者の呉 さんや中古車事情に長けた方がいたらとアポイントメントを依頼した。友人はこんな暮れの忙しいなか無理かもしれないと言っていたが、いつもの付き合いを強 調しそこを強引に依頼した。
一般のホテルは春節の為従業員不足や観光客対応で予約がとれず、何とか1泊300元(日本円4,500円)の安ホテルを用意してくれた。Cさんが朝 一番でアモイ〜上海の航空券も手配してくれ、午後の便で上海に飛ぶことが出来た。中国の春節前後は、民族大移動時期で上海の友人がよく航空券が取れたと 言っていた。Cさんの中国特有な何かの力が働いたかな?・・・。
1月25日(水)福建省アモイ市〜上海市
上海虹橋空港(今は国内便専用)を使うのは2年ぶりであった。
上海のホテルは MOTEL168 「莫泰連鎖旅店」の名前で今売り出し中、台湾の投資家が2010年開催の「上海万博」目当てにチエーン展開しているホテルで、客室はスリースタークラスでツインベット・ダブルベット選択、電話・インターネットも有るが、冷蔵庫が無く飲み物は廊下の自動販売機になる。
(中国では自動販売機は珍しい・・今まで自動販売機を見たのは上海駅待合室、南京駅待合室だけ)
浴槽なしのシャワーだけが付いた日本で言うビジネスホテルだった。中国はラブホテル建設禁止だが、お客の顔ぶれを見るとビジネス客もいるが、どうも 中国の男女カップルはここを使っているような雰囲気だった。しかし、私は何時も夜遅くまで上海をぶらつき、夜中にホテルに帰り数時間使うだけなのでこれで 十分である。さすがに日本から連れて行った友人は、ホテルの施設の内容に驚いたようで少したじろいでいた。
1月26日(木)上海市
香港・アモイ・上海と移動に疲れ、朝は10時まで寝込み、午前中は朝食も取らずゆっくり過ごした。昼食は二人で街をぶらつき、ローソンで飲料水やチュウハイを仕入れ、近くのマクドナルドで「ツナ入りマック」「ポテト揚げ」「コーラー」セット26元(390円)で済ませた。
ここは澳門路と常徳路の交差点の近くで上海中心地から北方向でかなり離れており、日本で言えば下町の古い住宅街である。しかし、数年前から近代的な20階建て以上の高層マンションがどんどん立ち並んだ地区でもある。
午後になると日本人の友人の通訳担当Mさん、エステサロン経営Tさん、損保会社のAさんに連絡しホテルに呼び寄せた。日本からKさんもMさんを頼り調度上海に来ていた。それから関係者に連絡し27日と28日の訪問予定をつめてもらった。
その晩は集まってくれた在日本友人に加え、明日訪問する中古自動車販売会社のO副総経理(Oさんとは偶然にも、去年の4月上海で友人の開催する宴席 で会っていた)、S主任、私たち二人の8名で、黄浦区の昔倉庫が立ち並ぶ地区を近代的に改装し、レストラン街にしたところで「かに味噌カルボナール・金華 ハムサラダ・マトンシシカバブー・トマトとハムのスープ」などなど「中国風洋風料理」なるものを食べたが中国がどんどん変わっていく様をまざまざと体験し た。
その後はご多分に漏れず、日本人がよく行くカラオケクラブ(KTB)でホステスは日本語が出来る店に行き、深夜まで飲み、歌い、踊りまくったのである。
中国ではカラオケクラブをKTBと呼び、中国人がよく行く店と日本人が行く店が分かれている。大きな店は250個室、2,000名のホステスを揃えている。
1月27日(金)上海市
今日は朝から、昨日夜来てくれたO副総経理の中古自動車販売会社を訪ねることになっており、ワンボックスタクシーを一日借りホテルを10時過ぎに出て延安西路の上の高速道路を経て蘇州方面に向い高速道路を一時間以上走る。
到着地は上海郊外の上海嘉定区安亭鎮上海国際汽車城に広大な敷地を誇る 自動車関係専用団地 の一角だった。
※自動車関係専用団地には何があるか説明すると
1.大型自動車展示場(幕張メッセ・東京展示場のような建物)
2.自動車車検場、ナンバープレート発行及び取引所、政府管理の中古車管理場
3.自動車販売会社区画(各国メーカーの代理店、中古車販売会社)
4.上海汽車集団公司工場・ドイツフォルクスワーゲン社との合弁企業
(工場敷地は先がかすんで見えない広さ)
5.F1の公認レース場もこの近くにあるらしい。
Oさんの会社は、外資が中国の会社と合弁し中国で始めて中古車販売事業の営業認可を取った中古車販売会社だそうだ。日本の神戸に本社を置く会社が上海自動車販売会社兼T社販売代理店をしている会社と合弁した会社である。
従業員のほとんどが地方に旧正月で帰国し閑散としていた。
会社につきショールームなど見ているうちにすぐ昼食時間になり、団地内にあるドイツ人の経営するレストランで、トマトのスープと海鮮パスタ料理を食 べたが中国で始めてうまいパスタが食べられた。しかし店の中の客は大きな体躯に髭を生やしたドイツ人を始めとした西欧人ばかりでその大きさに圧倒された。
上海汽車工場とその関連部品製造工場が点在
(国外からの部品供給はしないようで、この点在する工場で全て部品を作っていると聞いたが定かな情報ではない?)
F1が開かれる上海世界標準サーキット場
(2004年始めてF1のレースが開かれ、毎年の中国開催となった)
余談だが、私の上海渡航が2004年9月にこの始めてのF1レース開催にぶつかり、その時のホテル料金が3倍であったことが思い出される。
上海のホテルはいつも満員で、売り手市場である。
大型自動車展示場
東京展示場や幕張メッセの展示場を思わせる。
土日や大型展示があると物凄い人で、乗り物は高速道路があるだけで、電車や地下鉄はまだない。(地下鉄の予定はあったが最近の情報ではここまで延びないかも?と王さんが言っていた)
自動車車検場(日本の陸運局)
中古車は政府管理下にあり、基本的にこの中のブースにナンバープレーイとつきで展示しある。
ナンバールレートがついてない車は、鍵のついたモータープールに格納してあり勝手に動かせないようである。
ナンバープレート取引場
上海は独自の自動車総量規制が有り、ナンバープレートの売り買いがある。
株式取引のように公開取引場がある。
自動車販売デーラー地区
これからの自動車繁栄市場を目指した、数社の新車中古車販売会社、整備工場が点在する区画。
Oさんの新車中古車販売会社もこの一角にあり、M社の修理工場が隣にあった。
午後からOさんの会社の会議室を借りOさんとSさんに上海の中古車事情を色々訊ねた。
その中での見解だが、今、国外からの中古車輸入は規制が解除される時期にはないと思われるし、陸運局からはオープンの話はないという。しかし、中国 人が日本留学や就労ビザで日本に長期滞在し、日本で左ハンドル車を購入し、中国に持ち帰るような特殊なケースで中古外車が入った実績を聞いたことがあると 言っていた。ただ中国に持ち帰っても転売が出来ないだろうとの見解であった。
色々うわさがあり、何か合法的な手を使い実際は日本から数十台の中古車を入れている人がいるという噂は聞いているようだ。
夜、上海政府機関のGさんとの会食でもその話を持ち出し訊ねたが、今中国は外資規制をWTO加盟時の約束どおり少しずつオープン化しており、中古車 輸入オープン化の話なども世間では話題になっているのは事実で、何時オープンになってもおかしくない状況にはあるとの見解だった。
1月28日(土)
日本で言う大晦日の日である。朝10時ぐらいから爆竹や打ち上げ花火の音が鳴り始まり騒々しい大晦日が始まった。
パン・パン・パン・・ドカン・ドカン・・バチ・バチ・バチ
今日は午前中から偽造品が並ぶ泥棒市場、外灘、南京街に買い物と観光に行き、その後豫園にお土産の買出しに行った。豫園は正月を迎える縁起物のお化 粧で華やかに飾られ、暮れの買出しでお客が一杯、15時ごろには店を閉める所もでて、店の前で爆竹を激しく打ち鳴らし新春を迎える行事をしていた。
夕方ホテルの近くのレストランで友人と一杯やりながら上海料理を食べていたが、街の中が20時ごろから爆竹や打ち上げ花火で激しくなり、テレビで見た湾岸戦争のミサイル発射音や高射砲音を思い出した。街中騒然としている。
ところが上海の友人はまだこんなものは序の口といっていたが、その後その意味が理解できた。
22時頃から街に出てみたが、説明しがたいほどの爆竹や打ち上げ花火音で、マンションの各部屋からロケット花火や爆竹の火花が降ってくる。街中硝煙の匂いと煙でかすんでいる、赤い花火の残骸の紙が路上に厚くたまり、硝煙で目が痛い感じがする。
街のあちこちで若者がパラソルと水中メガネをかけ、ビールケースに打ち上げ花火を20本並べ、火をつけ連続で発射している。その隣で爆竹だ。とても日本では消防法があり考えられないことが上海の街で起こっている。
24時から1時の新年にかけて一番すごい爆発騒音で、市街戦を私も戦っているような気持ちになったほどだ。
ホテルに2時に戻りベッドに入ったが一晩中花火や爆竹音は鳴り止まなかった。
1月29日(日)
朝6時、爆竹音や打ち上げ花火音で起床、7時上海虹橋空港にタクシーで出発、香港経由で日本に向った。
かなり遠回りの帰路で一日中飛行機に乗っていた気分だが、友人共々すっかり疲れて寝入ってしまった。ご苦労様でした。
上海の旧正月行事、花火や爆竹に驚いた、一生思い出に残る旅でした。